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生命保険の起こり
古くから部落社会の中で、働き手を失った家族を助ける為に協力するという知恵から始まったと考えられます。
最初はシンプルな助け合いの精神であったに違いありません。
日本においても鎌倉時代に文献に登場する頼母子講など、古くから原始的な 生命保険の様なものがあったようですし、東西両本願寺の家人共済制度、 徳川時代になっての大名家中規則などがありますが、いずれも現在の生命保険の 概念からはかけ離れたものです。
最初の契約としての生命保険
最初の契約としての生命保険は15世紀のイタリアでの、船で労働する奴隷に対しての 海上保険の形でした。
その後、イギリスでセントポール寺院の牧師達が葬式代として、「香典前払い」のような制度を作りました。
しかし、この頃はまだ保険料を年齢に関係なく同等に徴収したため若い世代がいつまでも 支払い続けるばかりで中々保険金を受け取るに至らないという事態となり、 不満が出てセントポール寺院の事例も10年ほどで廃止になっています。
今の様な概念の、いわゆる近代的生命保険としてのしくみが出来るには、17世紀に、やはり イギリスの学者、エドモンド・ハーレーが生命表を作るのを待たねばなりませんが、 それまでの歴史は洋の東西を問わず、より良く、安全に生きようとし、 生命保険の基本概念である「相互扶助」を社会的に実現しようとした人類の足跡と言えるでしょう。
生命保険が生まれた背景
ここでは、相互扶助の生まれた背景と歴史を見ていきます。
封建制度下の弱者が強者に支配されていた頃の人間関係は、支配を支えるために強者から弱者へと保障もまた一方で得られていたのですが、封建制度が崩壊すると自由は与えられたものの貧困と闘わねばならないのが富を持たない庶民の現実でした。
ですから、事故や病気で働き手を奪われてしまうと、家族は経済的に破綻してしまいます。
相互扶助の考え方は、そのような生活を改善していこうと考えられたのです。
相互扶助の初めは、何かあったときには、大勢の人が少しずつ蓄えを積み立てた生活資金を出していくことから始まりました。
資金の集め方や支払いの合理的方法は、18世紀になるまで確立されることがなかったのですが、後半になってようやく保険会社の前身ができました。
わが国の生命保険事業
明治生命保険相互会社が、1881(明治14)年に 近代的生命保険事業として発足されました。
当時は、「保険に入ると寿命が縮む」とネガティブな 噂が、流れまして、国民生活には受け入れられませんでした。
金融機関といわれる保険会社
保険会社が金融機関といわれる理由ですが、契約者から保険料を集めた保険会社は、死亡などの際に支払う以外は、ただしまっておいては無駄なことなので、株や企業などに投資して運用しているからです。
- (2017/07/30)を更新しました
- (2017/06/17)掛捨型と貯蓄型詳細を更新しました